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本校は、岩国市の東北端に位置し、隣を和木町に接する国道2号線と山陽本線に挟まれた地域にある。東に瀬戸内海を臨み、岩国港を目のあたりにするこの地域は小学校を中心に新港地区と装束地区に分かれている。
新港は、古くは麻里布港(1811年開港)と呼ばれた地で明治以降に港が『新港』と称されるようになり、付近の地名も新港とよばれるようになる。装束はその昔(1643年)岩国庄を分割してできた村の一つである。この地名は、伝来の説によれば、昔、厳島姫命がこの浜に着かれて装束をあらためられたからという。両地区は、もともと白砂青松の美しい浜であったが、その後、装束地区は開作が行われ綿作等が盛んとなり、新港地区は、港町として開けてきたものである。
明治以降、山陽本線が開通(明28年)し、岩国港の改修、新港埋立工事が進められたことで、興亜石油操業開始、岩国港重要港湾指定、三井石油岩国・大竹工場やユニオン石油操業、国道2 号線移動工事など時代の進展に伴って地域の様相も大きく変わってきた。現在、JR山陽本線が校区を縦断し、国道2号線は1日40,000台近くの車が走行する地域となっている。
校区の戸数は1,008戸、人口1,928人(平成30年8月1日現在) である。
本校は、明治9年7月に創立され今日にいたっているが、後方に山、前方に海という環境にあるため地区民一体となった校地拡張の歴史をもっている。そのため学校教育には強い関心が向けられ、協力的な気風は今も受け継がれており、PTA活動は盛んである。ことに、校区の大半が国道2号線と山陽本線に挟まれているという地理的環境もあって保護者の交通安全意識は高く交通指導・安全声かけ運動にも協力的である。
また、不審者等から子どもたちを守るために、地域の方々による「防犯ボランティア」が結成され、登下校時や学校行事等において学校内外で子どもたちを見守っていただいている。